文化の背景

ドメスティック・バイオレンスをめぐる日本人の社会的・文化的背景について

福島大学教育学部 助教授 鈴木庸裕(SUZUKI NOBUHIRO)

ドメスティック・バイオレンス(以下DVと略す)とは夫や恋人などとの「親密な」関係における暴力といわれます。この誤った親密さの中で深刻化する暴力は、「構造的暴力」という、いわば経済的・社会的・文化的な土壌に組み込まれた男性優位・女性従属の認識やその行為によって助長・温存されています。

日本国内でもようやく社会問題化され、全国各地でその相談機関やシェルターが出来はじめてきましたが、日本人固有のDVやその社会的・文化的環境の解明というよりも、まずは国家や人種にかかわりなく問題とすべき課題であると言う認識に立ったばかりです。

ここでは日本におけるDV克服の障壁になっているいくつかの特徴的な要因を紹介します。日本人以外のワーカーの方々にも知っていただきたいことを述べます。

1「いつかは報われる」

日本人の精神的文化風土として、国際的に有名なものの1つに「恥の文化」があります。

「自己の行動に対する世人の批評に気を配り、他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める」(ベネディクト)と言われるように、人と同じことをしているときに安心して活発に行動する意識があります。その中で、「自分の常識は他人の常識」という思考が生まれてきます。

その反面で、DVの経験は、「他人の常識」と比較して、自分だけが違うこと、正常でないこととして、孤独感や社会的孤立をいっそう深めるものになってしまいます。

その一方で、耐え忍ぶことが日本人の「美」や「美徳」とされてきました。家族や男女関係だけでなく、個人と社会の間にも「滅私奉公」という言葉もあります。いま頑張れば、いま耐えればいつかは報われるという意識が、世間から逸脱してはならないという囚われと重なって、DVに耐え忍び、言語表現せずに、いつかはわかってくれるという心性をつくりあげていきます。

2「女は家のタンスと一緒」

日本人の一般的な社会生活の風土に家制度、家父長主義があります。家族の権力がすべて父親に集中するこの家族形態では、親子関係だけでなく夫婦関係においても、保護−被保護という名の支配−被支配関係が強まります。

おそらく、男は外で仕事、女は家で家事・育児という家庭維持に従属する考え方は日本固有ではないと思います。しかし、日本人の場合、「子は鎹(かすがい)」という表現があります。どんなに暴力を受けていようとも子供のために離婚はできない。性別役割において、子育ての束縛は子供を通して女性を支配する複雑な構造となっています。

また、日本の場合、税制や社会保障制度がこうした性別役割を支持する基盤を作り上げています。「世帯単位主義」と呼ばれるもので、妻の所得が一定額以下であれば夫の所得税が軽減される制度です。夫婦個々人の所得ではなく、それらを一本化した世帯としての所得が税制の対象となり、夫の手取り所得を高めるために、妻には限度額という縛りが大きくのしかかってきます。同様に、年金や健康保険といった社会保障も夫に従属します。 

結婚とは男性による女性の扶養であるという考え方はこうした諸制度にも起因し、既婚女性の離婚や別居ははなはだ困難と言えます。

なんと言っても、日本では、働く女性への偏見や再就職の困難さなど、妻が経済的に自立する上での障壁が多い中で、夫の立身出世を支える妻の役割が強調されるという特徴があります。

3「民事不介入と法制度」

DVの克服に関わって、家族の壁を超えて被害者を保護するという考え方が不可欠です。

日本の場合、殺人事件全体のうち、夫による妻の殺害は約3割であるにもかかわらず、暴行傷害事件の検挙件数のうち、夫婦間のものは1%にすぎません。これは暴行や傷害から殺人という結末にいたるまで法制度や機関が家庭に入りこむ余地の少なさを物語っています。個人や家庭への「プライバシーの保護」が一転して人権侵害に結びついてしまいます。

日本の家庭生活に関する法制度の根幹には、家族や親族による相互扶助が第一義的にあります。誰かに貧困や生活困難がある場合、まず家族や親族による救済が責務とされ、国家や行政の働きかけは後方に退いています。DVも生活問題家族として、親類縁者の関与事項とされやすい状況にあります。

法制度に関わって付け加えると、夫婦関係には強姦罪は適用されないという刑法上の解釈があります。警察などの関係者がDVを犯罪と見る目が弱いのも、まさに法的な根拠が基盤に据えられていないためです。

4「学校教育におけるジェンダー(社会的文化的性差)問題」

DVの克服には、「不利益には黙っていないこと(当事者)」や、「社会正義に対しての行動力(社会構成員)」が大切です。ところが日本の学校教育ではこうしたそれぞれの能力の形成に対し、十分な社会的責任を果たしてきていないという背景も見逃せません。男の子らしさ、女の子らしさを強調するジェンダー観は、家庭でのしつけや養育のみならず、学校という集団生活や学習の場においてみられます。

近年、日本でも自己表現能力や問題解決能力の育成という観点から教育活動が見直されようとしていますが、今ある現状や社会にどう適応するのかが狙いとされています。

家庭科教育が「良妻賢母」教育であるという時代錯誤もややかげりはじめていますが、例えば、教室で使う出席簿が、男の子が先でその後に女の子が並ぶという順序にあらわれているように、男女差別に無自覚な面が多くあります。高学齢社会となり、大学の進学率も男女の差が縮まっていますが、女性の高学歴化や女性の社会進出にはまだまだ偏見がつきまとっています。

5「ヘルプは大切な権利」

海外の人達から「日本人は何を考えているのかわからない」とよくいわれます。端的に言えば、不利益を被っていても自分から言い出さないということです。困難なことがあっても他人にヘルプを求めることは恥であるという思いや、ヘルプを求めることは自分に能力がないことを認めることになるという思いがあります。高いステイタスにある人ほどこうした思いは強いかもしれません。

概して、苦悩や困難に向き合うと、自分の能力不足を恥じたり、問題を抱え込んだり、あるいはあきらめになることが少なくありません。

DVは明確な人権侵害です。隣人や専門家へのヘルプは自らの心と身体を護ることであり、個々人にとって優先されるべき基本的な権利です。情けを乞うことではありません。

こうしたヘルプは、もう一方で、暴力を振るう男性自身が本物の親密さを回復するための教育や治療環境を受ける入口であり、そばにいる子供や隣人が安全に、安心して生活する権利を擁護することにつながります。

以上

 

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