104歳、その人生。

ナタリー・ベネット
御歳104歳のカドナガ・トミ(Tomi Kadonaga)さんは優に20か30歳は若く見える。補聴器を装着してはいるものの、彼女のたったひとつの健康問題は、足が時々痛くなることぐらい、それもすぐに膝下だけ、と付け加えた。タイヤ付きの歩行器を支えに、それでいて素早く動く様子からは、歩行器や痛む足が障害になっているようにはとても感じられない。
実際に、トミさんは何でも楽々にこなしているように見える。彼女の人生の節目節目では、悲しいことや楽しいことがあったと、淡々と筆者に説明してくれた。控えめに、しかし幸運な人生だと感謝の気持ちを表現しながらも、彼女の年齢以外はそんなに興味深いものでもないと断言する。魅力的で丁寧、もてなしの上手な彼女は、褒め言葉や彼女の年齢を感じさせない気の利いたユーモアですぐに私たちに気を使わせないようにしてくれた。
ある一点において、筆者の意見はトミさんと異なるものだ。なぜなら彼女の人生はかなり興味深いものであったのだ。
彼女は1913年にブリティッシュ・コロンビア州ヘイゼルトン(Hazelton)にある小さな村で、日本から移民してきた両親のもとに7人兄妹の4番目として生まれた。その後ポート・エシントン(Port Essington)に家族とともに移り住んだが、教室が一つだけの校舎では良い教育が受けられないと心配した両親の判断で、家族はすぐにプリンス・ルパート(Prince Rupert)へ引っ越した。
トミさんはプリンス・ルパートを、結束の強いコミュニティと多くの自然とともに、大都市のようなストレスを感じることのない、育つのにとても良い場所、と懐かしく思い出す。結婚した彼女の姉が、遠方のバンクーバーにいるたったひとりの親戚である孤独な若い男性をクリスマスディナーに招待したりしたほど、家族は明らかにこのコミュニティの一部であった。
ケリー木材(Kelly Logging company)のタグボード(引き船)で働いていたソウキチさん(英語名ソウル)は、トミさんの姉妹のひとりの夫の同僚であった。ある年のクリスマス、若かったトミさんに彼が恋をして、二人はトミさんが高校を終えた16歳で結婚をした。トミさんは「実際は彼は母に恋をしたのよ。だって彼ったら君はお母さんみたいになると思っていたよ、って時々言うのだもの。」と笑って私に話してくれた。
残念ながら、二人は戦争という政治問題に囚われ、その頃沿岸に住んでいた多くの日系カナダ人とともに1941年にヘイスティング・パーク(Hastings Park)へ連れてこられてしまう。しかしこの時、すでにこの何年も前にトロントに住んでいる彼女のゴッドマザーが、カドナガ一家がオンタリオに住めるよう許可を求める手紙を書いてくれた、と彼女がどれだけ幸運だったかとトミさんは語った。このゴッドマザーは一家のために仕事を用意するという約束もしてくれたそうだ。
幸運なことに、この申請は許可され、カドナガ一家は英語社会のトロントが実は大変心地良い場所で、受容的だったことに嬉しい驚きを覚えたそうだ。公認規則がそれほど寛容ではなかったため、カドナガさんは、法的にカナダ市民であるのにも関わらず、時間とお金を費やしオタワに通い不動産を所有する許可、そして後にビジネス・ライセンスを取得する許可を求め戦い続け、ついに取得することができた。お金がなく、いちばん安いビジネスライセンスを取得する以外になく、これがドライクリーニング・ビジネスを始めたきっかけだった。
そしてまたもや幸運が訪れる。ドライクリーニングについて何の知識もなかったカドナガ氏だが、出会った気の良いユダヤ人がこのビジネスを営む手助けをした。ダンフォース・クリーナーズ(Danforth Cleaners)は2つの工場とトロント中に35店舗をもつビジネスへと急速に成長した。これは、朝クリーニングに出した服を同日午後4時までに引き取ることができるという、当時では斬新な確約が功を呈したのではと、トミさんは考える。
この成功には、カドナガ一家の従業員からの絶大なる忠誠も貢献しているのではと筆者は思っている。なぜなら、一家は従業員に学校に行くよう、またそうできるよう休みを与えるなど励ましてきた。また、トミさんは人を惹きつける才能がある。彼女自身は、人々がいつも彼女に惹かれるのが少し不思議な気がしているようだが、次に彼女が話してくれたことで説明がつく。
その話は、トミさんがなんと61歳で家族経営ビジネスの外に初めて出たところから始まる。そのビジネスとは銀行であった。ある日、ロビーは緊張な面持ちで面接を待つ新卒の人々であふれかえっていた。実際に彼らはかなり長い時間無視されているような状態であった。これを見たトミさんは、彼らに 「Hey boys!」と気軽に挨拶をし、一気にその場の緊張を解いた。年齢差を物ともせず、その後彼女は彼らとともに座ってしばらく会話を続けた。
偶然、トミさんの若い男性たちへの共感が別の驚くような話へと続いた。彼らのひとりで、後に彼女の同僚となったジェフさんと働いていた時の逸話の数々を話してくれた。トミさんの娘さんのモナさんは、母親が彼女を多くの若い男性に紹介したがジェフには紹介してくれなかった、と冗談を言った。最終的にトミさんはジェフを紹介し、モナさんとジェフさんは今でも幸せな結婚生活を送っている。
トミさんに元気で長生きする秘訣について尋ねたところ、良き友人を持つことが最も重要なことだと答えてくれた。驚くべきことに、彼女の長年の友人たちのひとりが100歳以上とのこと。トミさんのどの年齢層の人々でも友人になれる才能は、紛れもなく彼女にとって利点である。かどながさんは90歳の誕生会の時より100歳の誕生会の方がより多くの人が参加しており、彼女の社交サークルは拡大し続けている、と、このインタビューが終わる頃に到着した彼女より若い友人が教えてくれた。
トミさんは私に、食べたいものを食べ、食習慣に関してあまり心配しすぎないことが良いのだと断言した。彼女の好物は子どもの頃からマカロニアンドチーズ(macaroni and cheese)かシチューだそうだ。しかし、昔のシチューは肉が少なかったと彼女は付け加えたので、もしかしたら肉が少ないことにヒントがあるのかもしれない。また、車を運転したことがない彼女は歩いて買い物に行っていたため、彼女が感じるよりも多く運動をしていたのではないかとも思う。
また、彼女は自分の心の健康の秘訣として友情関係を再度取り上げたが、私も彼女は間違っていないと思う。人生で得た幸運への彼女の感謝の気持ち、恩返しをしたいという切望、そして年齢の高さに囚われず新しいことに挑戦する準備ができること、これらも確実に貢献しているだろう。実際、彼女は75歳で簿記ボランティアとして仕事に戻り、100歳になるまでは定期的にイギリスに飛び、娘に会いに行っていたというのだから、驚くべきことである。
トミさんは別れ際に再度、彼女の人生に誰かが興味を持ったことへの驚きについて触れた。おそらく104歳になったからに違いないだろうと推測したようだ。それが実に私のもともとの考えであったことに少し罪悪感を覚えた。現在の社会では、私たちはお年寄りの人たちと話すことが少なくなってきているのは残念である。全ての人に人生のストーリーがある。それらをみつけてみようではないか。