おもてなしの心
勝谷由美子 茶道・陶芸家
私が通っていた高校ではお作法の時間というのがありました。その中には「茶の湯」のプログラムも含まれており、そこで学ぶ事は以前にお作法見習いの為に結婚式場で巫女として既に教わり実践していた作法が多かったので、とても親しみを感じて一段と「茶の湯」への興味も湧いたものです。当時の高校の茶の湯の授業での細かな事は良く覚えていないのですが、お菓子をご馳走になりお抹茶をお相伴させて頂くのがことの他楽しみでした。
しかし、高校を卒業してからはすっかり茶の湯とは遠ざかってしまい、それとは全く別の世界に住んでいました。それから長い年月も過ぎて、私が40代のある時ふと又茶の湯の世界に浸りたくなったのでした。仕事に子育てにと多忙を極めていたその頃の私は、ほんの短い時間でも良かったのですが、すべてから離れて無の境地に入り、安らげる空間を求めていたのかもしれません。そこからまた明日への新しい活力が生まれて来るような気がしたのです。
茶道とは日本の伝統文化のひとつの融合体であり、書画、陶芸、漆器、織物、お花やお料理、庭園そして古典文学にまで及び、学ぶ機会は多く実に奥深いものです。点前のお稽古をする事によっても、立ち居振る舞いもしとやかな礼にかなったものへと変って行くし、日常生活でのお菓子やお茶の出し方、身のこなし、話し方など、又、色々な道具の扱い方や手入れの方法も直ぐに生活に役立つ事が多く、それら一つ一つが豊かな暮らしへと導いてくれるものです。
茶の道に入って長い間に私が学んだ一番の宝物は、やはり「おもてなしの心」で、それは今私なりにしっかりと身について自然の姿になっていると思います。
茶の道というのは単に点前を習い技を競うものではなく、「茶を飲む」という事を手段にして、人間が歩まねばならない正しい道のあり方を示したものであると思います。人や物との一期一会の最高のもてなしの心を持つこと、お茶会やお稽古場で何度同じ人達と出会ったとしても、その時間は二度と巡って来ないものであるわけですから、その一瞬を大切に思い、感謝して受け止める事が大事だと思います。今出来る最高のおもてなしをして、自分も相手も喜び幸せを感じる「主客が一体」になって、お互いに醸し出すよき人間修練の場でもあるわけです。
お茶を点てる、それを頂く、それだけなのですが、思いやり、感謝の気持ちを持って人と人とが素直に触れ合う世界、そして知識のみに、 経験のみに、或いは立場のみに頼る姿でなく、淡々とした魂の触れ合う場が茶道によって展開されるのだと思います。 相手の立場に立っての気遣い、心温まる応対をするというのが「おもてなしの心」の原点であるのですから。
客のおもてなしというのは、招く側のみが一方的に行うものではなく、招かれる客も協力して、一体となってその空間を創り上げるものだと言われています。主客が一体となって、おもてなしの場を共有し、共鳴し合うことで、お互いを思いやる空間を生み出せるのであり、それらを実践で学ぶ場がお茶の席でもあるわけです。
おもてなしの心とは毎日の生活やお稽古からその人自身が見つけ出すものであって、他から押し付けられたりするものではない一種の悟りでもあります。茶の湯のお稽古を通して毎日の生活に潤いをもたらし、おもてなしの心を学び、豊かな心で人々に交わって明るく暮らして行きたいと私は思っています。
50代になってから2年間の代稽古(先生の代理でお稽古をする事)の後、1996年より自分の茶道教室を始めて現在に至りますが、恩師からの大切な教えを基礎に私らしさの加わった勝谷宗弓茶道教室には、同じ志の人達が集まり、和気藹々と手を取り助け合って、茶の湯を楽しんでいます。20代から70代まで年齢は様々ですが、誰もが茶道の精神を通して茶の点前やおもてなしの心をしっかりと身に付けて、うるおいのある生活をすることに歓びを感じていると思います。着付けの練習、和菓子作り、季節のお料理の研究なども加わって、学びたい事は盛り沢山あります。
我が家の庭で催す恒例の夏の野点茶会は、学んで来た事を実践する桧舞台とでもいえる場で、お教室全員でその季節のお料理を研究し、準備して大勢のお客様をおもてなしするお教室の楽しい催しとなっています。習った事を心を込めて実践に移すことで、お客様の喜ばれる顔が自分たちの心に響き、その奏でる余韻がこれからの更なる精進の糧にもつながります。