プログラム実施報告:Incredible Years Parenting Program
高野千恵
JSSコミュニティ・アウトリーチ・ワーカー
2016 年1月下旬から6月上旬にかけて、2歳〜6歳の子どもを持つお母さんを対象とした上記の子育てプログラム「Incredible Years」(以下、IY)が、池端ナーサリーのスペースをお借りし、トロント・パブリック・ヘルス(Toronto Public Health、以下TPH)とJSSの共同提供により開催されました。
IYは、科学的根拠とその有用性が証明されている子育てプログラム (Parenting Program)で、社会的認知学習理論、模倣と自己効力感(バンデュラ)、双方向的学習方式(ピアジェ)などを含む様々な発達理論を基盤とし、キャロラ イン・ウェブスター―ストラトン博士Carolyn Webster-Stratton(Ph.D)により米国シアトルで開発されました。現在ではイギリス、オーストラリア、スェーデン、ロシアなど、カナダ を含む世界20カ国で提供されています。
プログラムの当面のゴールは、ポジティブな親子の関係を築き、行動的な問題を阻止する又は問題を改 善し、子どもが大人になる前に社会的、感情的、学習的な能力を備えることを促す手助けをするところにあります。細かくカリキュラム設定された14回のセッ ションでは、(1)ファシリテーターより様々なポジティブな育児テクニックの紹介とビデオでの確認、(2)ロールプレイなどで練習、(3)宿題として自宅 で実践し、次のセッションでファシリテーターや他の参加者からフィードバックを得る、という方式でスキルを身につけていきます。また「行為障がい、学力未 達成、非行、暴力や薬物乱用の予防」を長期的なゴールとして銘打っています(The Incredible Years Parent, teacher and Child Programs: Fact Sheet, 2013より)。
JSS では今回、トレーニングを受けた認定ファシリテーター(進行役)である JSSのソーシャルワーカー(筆者)とTPHナース(英語:通訳付)とが進行役となり、日本語でのIYをカナダで初めて実施しました。しかし、TPHが IY本部との契約を来年以降更新しないことを決定したため、大変残念ながらJSSでの実施も今回が最初で最後となってしまいました。この記事ではプログラ ムのハイライトと参加者の反応を報告しつつ、プログラムのメッセージを子育てをしている皆さんへお送りしたいと思います。
「(親子間の)遊び」の大切さ
最 初の数回は、子どもとの「集中した」遊びの時間を通じ、子どもの社会的、感情的、学習的要素や自立性を伸ばすことを視野に入れた効果的なアテンションのあ げ方とその大切さを学ぶため、常にこの「遊び」の中にそれぞれのテクニックを取り入れていく宿題がでますが、育児だけでなく仕事や家事も忙しくこなさなけ ればならない現代の親である参加者の皆さんにとっては、「何かをしながら」ではなく、子どもと向き合って子どものリードに沿って遊ぶというのは難しいとい う声が多く聞かれました。しかし、回を重ねて慣れてきたと思う頃に、子どもに変化が訪れ、以前のように親が問題視しがちな行動(ぐずる、泣く、叫ぶなど) が減ってきていることに気づいていきます。これは、親がコンスタントに遊び時間を持ったり子どもを適切に褒めていくことで、親がしっかりと注意を向け自分 の気持ちに寄り添おうとする時間を持ってくれているということに子どもが気づき始め、親に対して安心感や信頼感が芽生え、むやみやたらに親の気を惹こうと する行動をする必要性が減っていくからなのです。これが子どもとのポジティブな関係づくりの全ての基礎となっていきます。
「褒める」ことの大切さ
IY では子どもを「具体的に褒める」ことをどんどんするよう勧めます。「カナダでは子どもを褒めすぎ」という声を時々聞きます。日本で育った私は「できて当た り前」とよく親から言われましたが、参加者の中にも、自分の子ども時代は褒められるよりも注意されることの方が目立ったという方もいました。子どもは褒め なくても確かに育ちますが、褒めるということは、その人の良い行動や努力を認めて伝えこれをともに喜ぶことであり、具体的に褒められることで自分がしたこ との何が正しかったのかを本人がクリアに認識し、これが積み重なることで自信が育つのです。また、失敗してもその努力が褒められることで、努力をする意 味、良いということ、そして充足感や達成感などを子どもは感じ取っていきます。
さらに大切なのは、親が自分を見てくれている、「当たり前の こと」でなく自分の努力をちゃんと認めている、という信頼感が生まれることです。子どもは親が自分をちゃんと見ているかどうか、大事だと思っているかどう か、敏感に感じ取ります。親が世界の全てであることが多いこの年頃の子どもにとっては、褒められることが一番欲しいご褒美となることもあるでしょう。頑 張っても頑張っても認識も褒められもしなかったら、頑張る意味を失ったり、親の自分への関心を疑うことに繋がります。 子どもは親が振り向くならどんな行動にでも出ます。そこでも「良い行動」が「良い」と言われず「悪い行動」だけが親から反応をもらうと、たとえそれが「親 の怒り」であっても、親の気を引いた行動がエスカレートする、ということになります。ですので、やめて欲しい行動(安全に関わらないもの)は無視し、親が そうあってほしいと願うどんな小さな行動でも— 例えば、子どもがバスの中で5分静かにできていたり、兄弟喧嘩を30分しないでいられたりなど、 普段あまり褒めないようなことでも、子どもができたり努力したなら、ぜひそれを「ちゃんと静かに座っててくれてありがとうね 」、「二人とも仲良く遊べて偉いね」、「勝手にどこか行かないで横にいてくれてとても助かるよ。ありがとうね」など、具体的に褒めてあげることがとても大 切なのです。
基礎を固めるのが先〜子育てピラミッド
子どもも最初のうちは 親のアプローチの変化に気付き戸惑いますが、親がこれらのアプローチに慣れて日常的に使えるようになってきた頃には、子どもの中でも自分の行動が引き起こ す結果についての方程式が少しずつでき始めます。親が一貫してこの方程式を守ることで、子どもの親に対する信頼や安心感が蓄積されていきます。しかし例え ば、ダメと言われた行動を別の時に注意されなかったり、両親のアプローチがそれぞれ違ったりすると、子どもは何が良くて何が良くないのか混乱してしまいま す。つまり、子育てにおいて、実はこの「一貫性(consistency)」は大変重要なキーなのです。
この子ども とのポジティブな関係づくりの基礎ができてくると、さらに「制限を設ける」、「無視」、「タイムアウト(子どもが自分の気持ちを落ち着かせるための)」な ど、導入初期には子どもの抵抗が出ることの多い、上級テクニックを学んでいきます。IYのベースになっているのは、このParenting Pyramid(子育てピラミッド)の考え方です。上のイラストの黄色い部分は親が使う子育てテクニックで、側面部分はそれによって子どもが獲得するスキ ルが記されており、使う頻度もその形が示すように上に行くに従い少なくなります。上級のテクニック(上3段)について学びたいと言われる親御さんは多いの ですが、基礎(下2段)がなく上から始めると、ピラミッドを逆さまにしたらバランスが取れなくなるのと同じ状態になります。子どもとの基礎的な愛着や信頼 関係ができあがっていないのに、例えば子どもの「良くない行動」だけを無視したつもりでも、子どもは親が「自分そのもの」を無視していると感じてしまうな ど、うまくいかないどころかネガティブな方向に行くことさえあるのです。
セルフケアの重要性
プログラムのもう一つの大事な柱として時間をしっかりとって学ぶのは、「親である自分もひとりの人間。できないこともあるし、自分を思いやること、褒めること、時には助けを求めることも必要」ということです。
私 がJSSで親サポートプログラムを提供してきた中の経験では、子どもじゃないし褒めて欲しいなんて言えないとか、パートナーの収入で生活しているからと か、自分は女性だからとかの理由で「子育てや家事は相手には頼るべきではない」と考える方に多くお会いしてきました。できることは全部やっているのに、 「まだ足らない」と自分を責めてしまうのです。これでは自分がいつか折れてしまいます。
子育ては一筋縄ではいきません。子どもの性質は一人 一人違うので、育児書を読みあさっても、様々な子育てワークショップでスキルを学んでも、 うまくいかないことが必ずあるし、効果を感じるまで膨大な時間がかかることもあります(子どもの脳は大人と違い、学びに時間を要します)。うまくいかない フラストレーションや、子どもや家族への罪悪感などが親の中でストレスとしてどんどん溜まっていき、八方塞がりのような状態になることもあるでしょう。上 でも触れましたが、子どもは親の様子を敏感に感じ取ります。子どもによっては親を庇おうとしたり、親が自分のことを嫌ってイライラしているのではと感じる こともあります。親が自分を責めがちであれば子どもは自分を責めることを、また親が困った時に「困った、助けが欲しい」と周りに言えていれば子どもは 「困った、助けが欲しい」と親や誰かに言うことを覚えます。「飛行機で酸素マスクが降りてきたら大人が先につけてから子どもに装着を」とよく言われます が、子育ても同じです。親ができるだけヘルシーでハッピーであることがとても重要なのです。
シンガーソングライターの矢野顕子さんが「おか あさんも、ほめられたい」と歌っていますが、まさにその通り。子どもがアテンションをもらったり褒められれば頑張れるのと同じく、親だって「頑張っている ね、良くやっているね」と認めてもらったり褒めてもらうことで前に進んでいけるものなのです。もし周囲が褒めてくれなかったら、「これしたよ。偉いで しょ?」など持ちかけてどんどん褒めてもらいましょう。家族の中でお互いが褒めあうこと、それに触れることは、子どもにとっても誰かを褒めることの大切さ を学ぶ良い機会となります。
それでも自分や子どもをなかなか褒められない、どう褒めていいかわからない、という方は、どうかそのことを責め ないでください。自分が褒められた経験が少なかったら褒め方がわからないのは当たり前だし、「性に合わない」と思うこともあるでしょう。でも、できたら、 そこから少しずつでも取り入れてみてください。継続は力なり、始めは嘘っぽく感じても、続けていくうちに身についていくのです。プログラムでは、自分を褒 めること、自分へのご褒美、感情がこみ上がった時の対処法(ポジティブなフレーズ、リラックスできるポジティブな行動や想像など)、どうやって周りにサ ポートを求めるか、なども考えてもらい、ロールプレイなどで練習します。ちなみに、今回のセッションでは 「大丈夫、大変なのは今だけ」、「これも子どものため」などと自分に言い聞かせることや、イラっとなったら「言葉を投げ返す前に深呼吸する」、「その場か ら自分を離し、リラックスできる想像などで自分を落ち着かせてから戻る」などのアイディアが出ていました。
最終セッションで実施したアン ケートでは、「(何気ない日常のことでも)褒めること」「アテンションを適切にあげること」「子ども自身から出てくるものを大切にすること」などが学んだ 中で最も重要と感じたとか、「自分が今まで試したことがなぜうまくいかなかったのかが理解できた」、「子育ては誰にとっても大変なものだとわかった」など の意見が寄せられていました。完璧な人はいません。親ができるだけのことをすること、それが一番の子どもへの贈り物、そして教えとなるのではないでしょう か。
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IYは先にご説明したように完全に終了してしまいましたが、JSSでは9月より実施予定だった好評の子育て座 談会Nobody’s Perfect をはじめとした親サポートプログラムが、現在システム変更や安全対策強化などの諸事情で一時的に提供できない状態となっています。詳しくはこちらのpdfファイルをご覧ください。しかし毎回のアンケート でも寄せられているように、JSSでは子育て全般および日本での子育てとの比較などについても日本語で気軽に話し合える場を提供することの重要さを深く認 識しており、再開に向けて調整を進めていく所存です。一時中止の間であっても、これらのプログラムに興味のある方は是非JSSへご連絡ください。再開決定 のお知らせはもちろん、JSSのカウンセラーやソーシャルワーカーなど相談の専門家が、様々なご相談受付や、GTA各所で提供されている育児プログラムや サポートを探すお手伝いなどをさせていただきます。
また、親サポートプログラムには、チャイルドケアサービスが不可欠です。JSSではシス テムの調整とともにチャイルドケアボランティア登録者数の拡大にも力を入れていきますので、チャイルドケアをやってみたい、手伝っても良い、また知り合い で興味のある人を知っているという場合は是非Chie(jss.outreach@gmail.com)までお知らせください。
今後とも、JSSの子育てサポートプログラムを暖かく見守って頂けますよう、心よりお願い申し上げます。
IYプログラムの詳細は、シアトルのThe Incredible Yearsのウェブサイトをごらんください:
http://incredibleyears.com/