生活の知恵: JSS役員、トクギ・スヤマ(トク)
メーガン・タナカ
かつて老子はこう書き記しています。「人生は自然に図らずして起こる変化の連続である…物事が進む方向に身を任せなさい」
ジャパニーズ・ソーシャル・サービス(JSS)の役員であるトクさんは、老師の「流れに身をまかせる」理念をそのまま実践されている方です。
5月22日にトクさんは御年92歳になられました。お誕生日に、幸せな人生をおくる秘訣を聞かれたとき、トクさんは「野望は一切持ったことがないんだ。だから成功を収めなかったんだよ!」と冗談をおっしゃいました。そして笑い終わると、「いつも新しいことを学ぶのが好きだった。学びたかったことを学び終えるとね、次のことに挑戦したくなるんだよ」と付け加えました。トクさんの人生を振り返ると、彼がいつもさまざまなことに挑戦されてきたことがよく分かります。
トクさんが初めてJSSでの活動を開始したのは1991年でした。JSSがまだジャパニーズ・ファミリー・サービス(JFS)と呼ばれていた時代で、トクさんは当時65歳、 アベニュー・ロードにあるL’Intimeというレストランのオーナー兼シェフとしての仕事から定年退職されたばかりでした。以前から、依頼があった際にJFSのゴルフ募金活動の為にサンドイッチを用意する等、トクさんはシェフとしての調理技術を活かして仏教会とJCCC(Japanese Canadian Cultural Centre)にご貢献されていました。JFSの事務所でボランティアを始め、そして役員になり、プログラム委員会の議長を勤め、さらにはトロント挑戦5K歩行マラソンなどの募金活動キャンペーンを先導するに至りました。
多くの人が気づかなかったことかもしれませんが、レストラン営業を定年退職したこの男性は、実は彼のルーツに戻っていたのです。
1941年、トクさんが15歳の時にブリティッシュ・コロンビア州にあるバンクーバー島のカンバーランドの家から家族で疎開した先は、バンクーバー東部のヘイスティング公園にある厩舎でした。その後、スロカンにあるテントで生活し、最後にはレモン・クリークに急遽建てられた非常に質素なコテージに住むことになります。
1946年に家族は日本に戻る決意をしますが、トクさんはロッキー山脈の東へと一人で向かう道を決めたのでした。自力で大学に通い、トロント大学で社会福祉の学士を取得しました。トロントのチルドレンズ・エイド・ソサエティー(児童福祉協会)に就職し、市内の里親家庭を訪問し、貧困と体罰の影響を目の当たりにしました。
1961年には、昔の知り合い2人からレストラン営業を手伝わないかと誘われました。そのご夫婦は、何年も前にトクさんがブロアーストリートとアベニューロードの角にあるトロント・パーク・ハイアット・ホテルの調理場で働いていたころに、トクさんと知り合ったのです。そして、特別な催し物のために、急遽トクさんの手助けを必要としていました。催し物が終わった後、このご夫婦からレストラン経営を任せたいと言われ、彼は驚いたと言います。トクさんは自営業の経験は全くありませんし、起業家にとってもっともリスクのあるレストランなんて、もってのほかです。でも、トクさんにはおもしろそうな挑戦に思えました。そして、社会福祉士としての安定した仕事を辞め、経営者になったのです。
トクさんは30年間レストランを経営することに成功しました。
トクさんは、定年退職者としてもまた成功しています。この27年間、彼の努力のおかげでJSSは継続でき、発展へとつながりました。毎年トクさんは200名以上の方とコンタクトをとり、トロント・チャレンジ5Kを通じてJSSに何千ドルもの寄付を集めて下さいます。そして、親友でもありJSSへの大口寄付者でもあるミッツ・イトウ氏のような同年代のご友人を説得し、歩行マラソンに一緒に参加されます。トクさんの募金活動への努力は、JSSとJSSが奉仕しているコミュニティーにとって欠かせないものです。
5月6日、コミュニティー先駆者受賞式典で、トクさんは、カナダ異文化協議会−オンタリオ州のアジア人部署(CMC-AO)より、「2018年の最も優れたアジア系カナダ人賞」を受賞され、日系カナダ人コミュニティーは大変な喜びに包まれました。このお祝い夕食会でミッツ氏はトクさんの横におられ、その反対側には伊藤恭子総領事が立っておられます。その他にも、トロント日系コミュニティーで有名な多くのメンバーが参加されました。
トクさんは、人生で「成功を収めなかった」とおっしゃいますが、日系コミュニティーはトクさんが多大な成功を収めたと思っています。