「80km耐久レースを完走した思い」

公家孝典     JSSカウンセラーKuge-san running
2015年7月18日、私はオンタリオ州ブルーマウンテン・リゾートにあるスキー場のゲレンデとそれを取り囲む上り下りの激しい山道をベースにした40kmのコースを2周、つまり80kmを14時間以内に走破するというとんでもないレース(The North Face Endurance Challenge – GORE-TEX 50Mile)に参加した。
このレースはオンタリオ州で開催される数々のトレイルレースの中でも最も過酷なレースの一つで、コース中の標高差に関しては最高位にランクされている。ちなみに、このレースは妻から私への誕生日プレゼントだった。
妻「すごーい!楽しそうなレースがあるよ!登録しとくね~今年の誕生日プレゼント、これでいいよね!?80kmだって!!!」
私「・・・・・?プレゼント?80km?・・・」
多少、迷う気持ちも不安もあったが、“怖いもの見たさ”がかなり旺盛な私は参加を決意した。
レース当日早朝4時、2時間半のドライブを経てスタート地点であるブルーマウンテン・リゾートに到着。続々と参加者が集まってくる。参加者の総数は130人ほどで、30~40代の男性が多い様であるが女性も20~30人くらいいたようである。まだ夜も明けない早朝5時、予定通りレースはスタートした。
ほぼ確実に10時間以上かかるレースになることは分かっていたので、序盤はできるだけ無理のないペースで進んだ。それでも30kmを過ぎたあたりから徐々に「右ひざが痛くなってきた。」とか「腰が重くなってきたな。」とか特定の部位に痛みや疲れを感じ始め、走ることが困難になってくるのだが、レース中盤40kmから50kmにかけては、もう、痛みおよび疲労感が無い体の部位が無くなって、逆に痛みを感じなくなり走りやすくなる時間帯があり、ある意味面白かった。カウンセラーの私は「DVを受けてる女性や虐待を受けてる子どもも、長い間苦しい状況に居いつづけると、感覚が麻痺して苦しいのが“普通”になってしまうことと共通性があるのかな~」などと考えながら走っていた。
痛みや疲労感は全身くまなくあるのだが、最も顕著だったのは50kmを過ぎた辺りからどんどん悪化していき、最後には出血するまでに至った「股ずれ」、57km付近で経験した「熱中症による脱水症状」、そして65km付近で負った「左足の脛の肉離れ」だった。脱水症状では激しい嘔吐、頭痛とめまいでリタイヤ寸前まで追い詰められたが、電解質を補給しながら40分ほどエイドステーションで横になったら、とりあえず動き出せるところまで回復した。どれか一つをとっても、ものすごい苦痛なのだが、この3つが同時に存在した65km地点からゴールまでの15kmではスピードがそれまでの時速8kmから時速3kmにまでスローダウンした。しかし、この15kmに走破するのにかかった最後の5時間がまさにこのレースの醍醐味だった。
身体的な辛苦が増すにつれ、精神的な葛藤も増していく。職業病なのか、この色々に揺れ動く自身の心の葛藤を客観的に観察している自分もいて、非常に面白かった。「もう十分がんばった、、、リタイヤしちゃえよ!」「もう65kmまで来てるんだぞ!あとたったの15kmだぞ、進め!」「これ以上無理すれば、怪我がひどくなるぞ。。。怪我がひどくなればバスケ出来るようになるまで時間がかかるぞ。。。」「もうすでに怪我しちゃってるし、ここでリタイヤしてもしなくてもバスケはしばらくできないはず。だったら進め!」「ホント何のためにこんな苦しい思いをしてるんだ?」「まじで、脱水症状で死んじゃったらどうしよう。。。」「『死んじゃったらどうしよう』って考える余裕があるうちは、そんな簡単に死なないだろう。」「カウンセリング中、しょっちゅう『ギブアップしてもいいんですよ!“頑張る”のはいいけど“頑張り過ぎる”のが一番よくないんです!』って自分がクライアントに言ってるだろう!?」「リタイヤしたら参加費の$90が無駄になるぞ。。。」「$90のために死んでもいいのか?アホか。」「リタイヤするのも勇気だし、それだっていい経験になるはずだ!」「そんなのただの理想論じゃん。。。ゴールするほうがいいに決まってる!」
などなど、65km地点から72km地点まで、普段であれば1時間かからない距離を2時間以上かかって進む間、対極にある様々な思いが心の中で激しくせめぎあっていた。
何とかかんとか、72km地点のエイドステーションまでたどり着いた。ゴールまであとたったの8kmであるが、怪我だらけで満身創痍の心と体にとっては“たった8km”ではなく、なかなか動き出そうとしない。時間だけが止まらずに過ぎていく。 「もう今から進んだって、時間内に辿り着けないかもよ。十分がんばったよ。やめちゃえやめちゃえ!」という思考が疲れ果てた心を覆い尽くしそうになる。次の瞬間、半分無意識に私はエイドステーションのボランティアスタッフに「リタイヤすることにします。車を呼んでください。」と告げていた。「楽になった」という大きな安堵感と、「負けた。。。」という悔しさとみじめさが入り混じった感情に翻弄され、涙があふれてきた。20分くらいの間に3人くらい他のランナーが入ってきた。皆、例外なく満身創痍である。私のようにびっこを引いているランナーもいた。3人目に入ってきたランナーは全身泥だらけの“おじいさん”だった。話してみると、なんと御年69歳。。。にわか雨でぬかるみ滑りやすい下り坂で2度も転倒したそうである。彼も、満身創痍でここでリタイヤするかどうか迷っていた。何かが心の中ではじけた。「山道80kmを10時間以上にわたり走り回って無傷でいられるはずがない。みんな痛いんだ。でも、走ってるんだ。それこそがこういうレースの醍醐味なんじゃないのか!?」
次の瞬間、私は「リタイヤするのをキャンセルしていいですか?走れます!」とボランティアスタッフに告げていた。「時間内にゴールできなくてもいい。 とりあえず、体が動くうちはあれこれ考えずに行けるところまで行ってみよう。それがゴールだ!」という“確固たる決意”に辿り着いた。そこに辿り着けた瞬間から、心の中の迷いが消え、心が軽くなると不思議と足取りも急に軽くなった。改めて、「心と体は本当に密接につながっているんだなぁ」と実感した。また、私の心をリタイヤする方向に押し流そうとしていたのは、「体の痛み」だけではなく、「こんだけがんばっても、ゴールできなかったら全部無駄な努力になっちゃうじゃん」という“打算”も大きな要因の一つだったことに、後から振り返ってみて気づいた。
このプロセスの中で、無意識に「達成できるかどうかわからない目標を、その方向は変えずに達成できるあるいは達成しやすい目標にスイッチする」というカウンセリングのテクニックを使っていることにも気づいた。「行けるところまで行く」っていうのが目標なので、この目標は必ず達成できるのである。ここからは、もうアドレナリン全開で完全に開き直ったポジティブ思考が頭の中を駆け巡る―「“無駄な努力”しまくってやろうじゃないか!あがきまくってやる!」「痛みを楽しめ!自分がどこまでの痛みに耐えられるのか実験だ。」「それでも、出産より痛くないんじゃん!?」「股ずれ、肉離れで死ぬやつはいない!脱水だけに気を付けてれば大丈夫、死にはしない!」「ゴール目前で失格とかになっても、それはそれでドラマじゃん!?カッコいいじゃん!?」「無事ゴール出来たら、自分で自分を褒めてやろう!もし、ゴール出来なかったら、もっと褒めてやろう!」
確固たる決意に基づいていれば、空元気でも、無理やりのポジティブ思考でも、大量のアドレナリンを分泌させることができるようで、それまでは歩くのさえやっとだったのに、びっこを引きながらではあるが、走っていた。極限状態の自分をどこまで追い詰められるのかを楽しんでいた。 しかしながら、アドレナリンパワーにもやはり限界があるようで、77km地点で脛の肉離れの痛みが悪化し、うずくまった。それでも、このときは進む決意は揺るがなかった。このレースの必携品リストに入っていたので持っていたイブプロフェンを飲み、15分待ってスタートした。イブプロフェンのおかげでかろうじて痛んだ足も地面につけるようになったが、もうほとんど“片足ケンケン状態”である。
ゴールまであと2km、最後のエイドステーションに辿り着いた。肉離れによる足の痛みと股ずれの痛みは悪化していたが、もう気持ちは揺るがない、「行けるところまで進む!」。痛みと辛さで感情が昂ぶっていた私は、見送ってくれるボランティアスタッフの温かい励ましに涙しはじめ、そこから先ゴールにたどり着くまで「もうすぐ終わる」という安堵感と、体中の痛みと、すでに押し寄せつつある達成感で泣きっぱなしだった。
午後6時15分、朝5時に出発してから13時間15分かかってとうとう私はゴールに辿り着いた。このレースは、走破するのにかかった時間、身体的・精神的疲労、怪我などすべての要素において、私の想像をはるかに辛いものであった。5月に参加した50kmのトレイルレースと比べても、すべてが桁違いにえげつなかった。
レースから2週間以上が経過した今も、脛の肉離れは完全に癒えてはいないし、このレースによる体へのダメージは相当なものであったが、このレースに参加して本当によかったと心から思う。そのくらい、精神的な部分で私がこのレースから得ることができたものは大きかった。
次号では、「なぜ走るのか?」を心の専門家なりに分析・考察してみたいと思う。