たんぽぽの綿毛にも似て

渕上幸江
Dandelion graphic
 
たんぽぽの 綿毛にも似て わが旅は
    ゆらりゆられて 楓の国に     (2005年 第2回海外日系文芸祭 佳作)
 
 カナダ人”Why did you come to Canada?”
 私“To learn English.”
 カナダ人「英語の勉強なら英国でしょう?」
 ええっ、そうなの・・・と言葉が続かない私。
 実は私、さしたる目的があるでも無く、ただひたすらカナダに憧れて、来てしまったのです。それも、わざわざ移住ビザを取得して。
 中学一年の時に出会ったモンゴメリー作・村岡花子訳「赤毛のアン」に魅せられて以来のたわいのない夢が、1967年カナダ移民法改正に伴うポイント制の技術移住カテゴリーのプロモーションとして東京のYMCAで開催された「カナダ移住者トレーニングコース」を受講したことにより、にわかに現実味を帯びたのでした。
 そこで知り合い、すぐに技術移住された先輩がreferenceを書いて下さったこと、トロント在住の一世、西岡さんご夫妻を紹介して下さったことも、移住ビザ取得の際の利点であったのでしょう。何故なら、私、申請書のTorontoのスペルを間違って、Torontで提出したのですから。これで事務職のビザが降りたなんて、信じられます?
 面接で移民官に、「あのね、Torontoはoで終わるんですよ。横浜移住センターのオリエンテーションで英語の勉強したらビザをあげます」と言われたような気がします。
 1970年秋のカナダ入国は、横浜移住センターの同期生4人と、3日間かけての団体様大陸横断鉄道旅行でしたが、何せ、技術経験豊かな先輩諸氏とは異なり、大の大人には考えられないであろう動機なものですから、飛行機が羽田を離陸した途端に夢から覚めたのでした。「えらいことをしてしまった!」と、不覚にも眼下の灯りが滲み、もう、ホームシックが始まったのでした。
 そんな世間知らずであった私を、いやな顔一つせずに、陰になり日向になり、支えて下さった、一世、二世、新移住者の先輩の方々の優しさを想います。
 新移住者協会も、ジャパニーズソーシャルサービスもメールも無かった当時、西岡のおばさんの電話網や、盆と正月が一度に来たと言う表現がピッタリのテーブル一杯の日本食に助けられた新移住者は数知れないはずです。
 おばさんの息子さんによれば、「ママはスパダイナで日本人らしい人を見つけると必ずうちに連れてくるんだ」と。
 おばさんのお嫁さんの紹介で、トロント到着後一週間で、「くいちさん」(9+1=じゅうJewish)の会社で日本で経験のあった輸出事務の職につけたのはこの上もなく幸運でした。戦後の差別社会で、唯一日系人を雇ってくれたのは「くいちさん」だけだったとか。
 あれから幾星霜、いずれ「憩いの園」の土になる迄、受けたご恩を、コニュニティーに返還していけたらな、と思うのです。一世のご苦労の上に築かれた日系コミュニティーを次世代に繋ぐ意味でも。
 
 岸壁の ベンチに残る 移民の名
    ステブストンに 入り日輝く         (平成25年度NHK全国短歌大会 秀作)